日本カトリック正義と平和協議会 ウエイン バーント会長(那覇教区司教)が、那覇教区報「南の光明」に2022年沖縄慰霊の日(6月23日)平和メッセージを発表しました。

2022年 沖縄慰霊の日 司教メッセージ
沖縄の知恵と祈り
「戦争への備えは、戦争の始まり」
 ♰ちむがなさ
 恵みの雨に洗われて、沖縄は祈りの季節を迎える。長雨は、流された血を洗い、渇きを潤し、あらゆる悲しみの悔悟の涙となってこの祈りのときを告げる。復帰に見た夢は、大それた望みではなかった。「もう、苦しみはいらない。もう、悲しみはいらない。もう、抑圧はいらない。もう、差別はいらない。もう、基地はいらない。もう、戦争はいらない。ただ平和に生きたい。」ただそれだけの純粋な、誰もが抱く当然の願いは、50年を経てもなお叶えられていない。
 それでも沖縄には祈りがある。先祖に思いを馳せ、いのちを繋いでくださったこととその労苦に感謝し、いまを生きる者のためにとりなしを願う祈り。すべての戦争犠牲者に思いを馳せ、二度と沖縄を戦場としないため軍事基地のない世を願う祈り。自然の恵みに浴し、小さな生活の場の平和な日常を求める祈り。軍事基地を文化・芸術・友愛の拠点とし、戦争への備えをすべて放棄した世界を切望する祈り。
 沖縄の祈りに広がる理想像は、愛と平和と調和に満ちた世界です。それを少しずつでも確実に実現するため、沖縄は戦争への備えを止めようとしています。たとえ「防衛」のためであっても戦争への備えは、必ず戦争につながります。戦争が始まれば、破壊と死の連鎖が起き、互いにどうにもならない状態にまで行き着くのです。これが沖縄戦の実相、沖縄戦から学んだ教訓・知恵です。「戦争への備えは、戦争の始まり。」これを肝に銘じ、一切の軍備を放棄しなければ、沖縄の願いは叶わず、沖縄の祈りは届きません。
 恐怖をあおって猜疑心を抱かせ、敵をつくってけしかけ、「自己防衛は当然の権利」「武器がなければ攻め込まれる」と訴えては、軍備に走る国々。しかし歴史の事実はそれとは逆に戦争の準備があればどんなことがあっても、戦争になってしまいます。もし軍備がなければ、そもそも戦争は起こりえないはずです。いのちを守るのは武器ではなく対話です。対話による和睦⇒相互理解⇒協力関係⇒相互扶助⇒友愛関係へと発展させ、「いちゃりば ちょうでー」の精神を世界中に浸透させることです。そのためには、地球上のあらゆる人種、血縁、国籍、地縁、言語、文化、慣習、個性などのありとあらゆる違いを乗り越えて行ける視点を持つことが何よりも大切です。それは、いのちと存在の視点、その絶対的な価値の共有です。それが沖縄の「ぬちどぅ宝」の精神です。(詩篇26:9-12参照)
 すべてのひとは地球という一つの家に暮らす仲間、互いの信頼と協力、友愛と扶助によって愛による創造のわざに参与するのです。そのような人類の歩みのなかに真の平和は実現するのです。平和だけを求めてもそれを得ることは難しいでしょう。かりそめの和平は得られても、永遠の平和は実現できないのです。なぜなら真の平和は、わたしたちの所有物ではなく、いのちと存在の与え主と共にある状態だからです。そこでは「神が涙をことごとく拭い去ってくださり、もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」(ヨハネの黙示21:4参照)のです。あらゆる人の友となり、あらゆる自然に溶け込んで、すべてのことに感謝しつつ愛と平和を求める沖縄の祈りにこころを合わせ、父なる神に祈りましょう。
那覇教区報「南の光明」2022年6月号からもご覧ください

http://www.naha.catholic.jp/img/koumyou2022.6..pdf