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Q. 2 「正義」という日本語の言葉には、自分だけが正しいという独善的な響きがあります。「裁いてはならない」という教会の教えと馴染まないのではないでしょうか。

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A. 聖書の「正義」は「ツェダカー(義・正義・信義)」の訳語です。「ツェダカー」は、もともとは裁判官が立場の弱い者を擁護する裁きの公平さを意味しました。これが宗教的に転用され、被造物を恵みで満たす創造主の心づかい、いつくしみ、という意味になりました。「正義」と言われると、相手を打ち負かす法や倫理、権利などをイメージしますが、聖書の神の「正義」は、親が子をいつくしむように、 虐げられる者・苦しむ者の痛みに共感し、彼らの奪われた権利を取り戻す神のあわれみ(コンパッション)なのです。そこから、「正義」は、個人や家族、民族や国家、自然環境など、あらゆる被造物が神から与えられた本分を十分に果たせる状態を築く働きとして、「救い、恵みのわざ」という意味を持ちました。
一方、聖書の「平和」は「シャローム」の訳語で、欠如のない満ち足りた状態、健康・繁栄・安全 など、人間のいのちが満ちていることを指す言葉です。
「正義」と「平和」はどのような関係にあるのでしょう。次の言葉に耳を傾けてください。
「平和は、戦争のない状態に還元されるものではありません。平和は、人間の間により完全な正義をもたらされる神が望まれる秩序を追い求める日々の中で構築されるものです」教皇パウロ六世 回勅『ポプロールム・プログレッシオ-諸民族の進歩推進 について-』(76)
「正義が造りだすものは平和であり、正義を生み出すものはとこしえの信頼である」(イザヤ32・17)
「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から 注がれます」(詩編 85・11 -12)。
平和が実現されるのは、人間が神の意志に従い、神との正しい関係を保つときであり、それが「正義」なのです。イザヤをはじめとする預言者たちは支配者たちが圧政や重税、戦争などで弱い者や貧しい者を虐げることを痛烈に批判しました。そのとき彼らが叫んだ言葉が「公正(ミシュパート)と正義(ツェダカー)」でした。正義と平和協議会が展望しているのはこうした「正義と平和」なのです。

『なぜ教会は社会問題に関わるのかQ and A』👉 Q-14

参考文献
光延一郎「福音と社会正義」(JP通信221号 2020.4)
教皇パウロ六世回勅『ポプロールム・プログレッシオ-諸民族の進歩推進について-』(中央出版社 1967.7)

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