A 社会で起きる様々な問題について、福音的な価値に基づき、はっきりとした意見を表明することは、正義と平和協議会の大切な使命です。意見を述べることが、直接的、間接的を問わず、問題解決に役立てられ、それによって私たちがこうあるべきと考える姿に、社会が少しでも近づいていくことを、私たちは望んでいるのです。そして、私たちがこうあるべきと考える社会とは、全てのいのちが十全に生かされ、大切にされる社会のことです。なぜなら、それが神のみ心であり、キリストの救いの実現だからです。神のみ心にかなうことこそが「正義」であると私たちは信じているのです。
しかしたしかに、一つの意見があるならそこにはかならず異なった意見も存在し、それらが相互に噛み合わない場合があることも、避けられないことかもしれません。またそのように複数の意見があるのは、社会も、教会の中の信徒同士もじつに多様だからであり、その多様さこそ、神様からの賜物として尊重されるべきでもあります。
しかしながら、私たち教会の構成員はみな、キリストの救いの実現のために呼び集められた兄弟姉妹です。その理解に立つなら、神のみ心に少しでも近づくために必要なのは、ある問題について、誰が正解を持っているのかを争うことではなく、むしろ、積極的にそれぞれの経験を分かち合い、対話し、より豊かに多面的にに、目前の問題を解きほぐし、具体的に行動していくことではないでしょうか。
正義と平和協議会はそのためにベストを尽くしますが、とはいえもちろん、正義と平和協議会が常に必ずしも正解を持っているわけではないことも、確かです。むしろ、ある問題に関する意見を表明したら、それにひとまずは耳を傾け、その問題に関心を持ち、疑問や意見を分かち合い、何をすべきかを考え進めてくださることを、正義と平和協議会は望んでいます。
聖職者の役割について一言申し添えるなら、彼らの務めは、この世のことがらの秩序がキリストにおいて刷新されるよう、道徳的、霊的な助けを与えること、すなわち人々の間に正義に基づく平和と調和が保たれるよう「人間としての権利の擁護者」となることです。
社会問題に関するキリスト教(カトリック教会)の基準は、イエス・キリストが教えた隣人愛に基づき、人間の尊厳・生存権・共通善・自由、エコロジー・
経済・社会的原理としての持続可能性、そしてそれらの価値を世界の人々と共有し、連帯することです。
いのちにかかわる問題については、第二バチカン公会議が「人間の基本的権利や霊魂の救いのために必要とあれば、教会は政治的秩序にかかわることがらについても道徳的判断を下すことができる」( 『現代世界憲章』76項)と述べたように、具体的法案についても、教会の立場から発言する必要がある場合もあります。それはたとえば、中絶問題・戦争と平和・核兵器・死刑制度・人種差別・経済と労働問題・格差・移民対策・少数民族と先住民の権利・自然破壊と環境問題などでしょう。これらについては、歴代教皇、そして現教皇フランシスコも積極的に発言しています。
もちろん聖職者の発言が一方的な押しつけになってはなりません。彼らの役割は、福音に基づく倫理的枠組みを提供し、対話と学習を促すことであり、信徒が福音と教会の教えに照らして良心を育成するのを助けることです。ですから信徒は、司教団が一致して発表する社会的メッセージについては、たとえ自分の見解とは一致しない点があったとしても、キリストの救いという原点にたちもどり、一度考えてみて欲しいと思います。そうして、対話と祈りと行動により、全てのいのちが十全に生かされ、大切にされる社会の実現にともに向かっていきたいと思います。
『なぜ教会は社会問題に関わるのかQ and A』👉 Q-3~5, Q-11, Q-13, Q-14, Q-16
参考文献
光延一郎「福音と社会正義」(JP通信221号 2020.4)
松浦悟郎「教会の考え」と「自分の考え」が違うとき」(『キリストと同じ夢を見る』〜これからの教会共同体〜ピース9の会 2020.4 所収)