2023年9月3日、在日大韓キリスト教会東京教会(東京都新宿区)にて、2023年9月3日 関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年キリスト者追悼集会を開催しました。

YouTubeに当日のビデオ記録を掲載していますのでご覧ください(式文や宣言文もダウンロードできます)

https://youtube.com/live/fkVMTBC5GDU?feature=share

関東大震災朝鮮人・中国人虐殺犠牲者100年キリスト者追悼集会宣言文

<集会の目的>
「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺犠牲者100年」を迎えるにあたり、私たちは、様々な国籍、民族、文化、言語を持ちながら、共にキリストに仕え、天に国籍を持つ主の民として、100年前の関東大震災にて6000人以上の朝鮮人・中国人が虐殺された  事実に向き合い、今の私たちの在り方を問う重い課題を共に担うために集まりました。

<虐殺の経緯=国家責任/民衆責任1>
歴史の検証から明らかになっていることは、虐殺の元となる流言蜚(ひ)語(ご)は、政府・軍・警察主導によって広まったことです。大勢の市民が事実無根の流言の発信元が警官であったことを証言しています。更に、内務省最高責任者らは、自然災害では想定し  ない戒厳令発布の検討を震災発生当日の午後に始め、枢密院の諮(し)詢(じゅん)を経ず翌日の2日正午に天皇の名で裁可させ発布しました。戒厳令とは、軍に全権を委ねる非常措置であり、「討伐」すべき暴動が起こることを前提にしたものです。翌3日には、「不(ふ)逞(てい)  鮮(せん)人(じん)暴動」という事実無根の流言蜚語が公的な伝令として内務省警保局長名で船橋 海軍送信所から全国地方長官に発信され、その結果、朝鮮人虐殺は戒厳軍と官憲のみならず、上からの指示で組織された自警団によって関東一円に拡大しました。

<虐殺隠ぺい/報道統制の経緯=国家責任2>
更に日本政府は6000人を超える朝鮮人、及び700人の中国人に対する大虐殺の 事実を、一貫して隠蔽し、虐殺犠牲者の遺体処理の証拠隠滅と報道統制を通して責任逃れを行いました。虐殺を扇動した軍と警察の責任は一切問われず、虐殺加害者と して裁判にかけられた自警団員も翌年1月の皇太子の結婚による特別恩赦で全員が無罪放免とされ、虐殺の罪は誰一人裁かれずに今(こん)日(にち)に至っています。

<虐殺に至る歴史背景>
朝鮮人に対する虐殺は関東大震災時に始まったことではありません。大日本帝国による1894年以来の朝鮮植民地化に対して独立を求める朝鮮民衆の抵抗運動を日本軍は「朝鮮暴徒」として「討伐(殲滅)」したことの延長線上にあります。朝鮮総督府が1919年の三・一独立運動を「不逞鮮人大暴動」として徹底弾圧した際の敵愾心が日本社会に同様に広まりました。「不逞鮮人」なる言葉がこの頃より使われ、報道を通して朝鮮人に対する敵意・蔑視・恐怖心に満ちた意識が日本社会に広まって関東大震災朝鮮人虐殺の下地となる状況がその前史から準備されて行きました。朝鮮人虐殺は、植民地支配により、長年にわたり日本社会に醸成された敵意と偏見による帰結でした。

<民衆責任/教会責任(傍観・沈黙)>
虐殺を行い、虐殺の非道を沈黙によって容認した日本の民衆と共に、日本の教会も責任を問われなければなりません。虐殺に対する日本の教会の態度は、一貫して傍観者的でした。例えば、震災翌日の植村正久による説教「神の業の顕れんためなり」では、虐殺に一切触れられず、内村鑑三は、日記に軍や夜警団に対する感謝と敬意を書き綴ってさえいます。吉野作造の「朝鮮人虐殺事件に就いて」(『中央公論』、1923年11月号)や柏木義円の『上毛教界月報』に掲載の論考には、虐殺の罪と悔い改めを 呼びかける言葉が見られますが、その声が広がることはありませんでした。これら 日本のキリスト者の無関心は、朝鮮のキリスト者が在日本東京朝鮮YMCAとソウル中央YMCAと協力して虐殺の実態を調査し、被害者援助のために行動した点と比べるまでもなく冷淡なものでした。日本の教会が虐殺の痛みを共に担うこともせず、100年間も沈黙を続けたことは、虐殺の傍観者・加担者として、神の前に責任を問われ  なければなりません。事実を知ろうとする試みは取り組まれながらも、未だ十分な ものではありません。より正確な調査と日本の国家責任、民衆責任を問いつつ、自らに内在するヘイトと闘い克服する努力を私たちは続けなければなりません。

<国家/東京都の歴史責任不問の問題>
東京都知事が関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典に送付してきた「追悼の辞」を、  小池百合子都知事が2017年以降送付を取りやめたように、歴史を忘却し、責任を  無きものとする姿勢は変わることがありません。日本政府は、2003年に虐殺の真相調査と謝罪を求めた日本弁護士連合会の勧告を無視し続け、2023年の通常国会でも、現存する資料に基づく再度調査の要請に対して「(記録は)見当たらない」「さらなる調査は考えていない」と、責任を否定し続けています。

<ジェノサイドの歴史(100年前)
-隠蔽・不問の歴史(100年間)―止むことのない現代のヘイト>
私たちはこれまで学習会を重ねながら、関東大震災時に至るまで日本社会に蔓延した「不逞鮮人」という「公的なヘイト」が、「民衆のヘイト」を飛躍拡大させながら、最後にジェノサイドを引き起こす結果となったことを学びました。そして、国家と 社会が過去の歴史の過ちに誠実に向き合えず、しかもそれを隠蔽し責任を不問に伏し続けることによって私たちは人間としていかに貴重なものを喪失するか考えさせ られ、また今日の在日コリアンに対する止むことのないヘイト・クライムや、在日  外国人移住者に対する差別がそのような歴史の結果として起こっていることに気づかされました。

<ジェノサイド犠牲者への追悼の神学と教会の宣教課題>
今日の日本社会においても、韓国へ偏見が広まり、中国への敵視が溢れている現状は、100年前と変わらず、ヘイト・クライムは後を絶ちません。復活の主に呼び集められ、「地の塩、世の光」として遣わされる私たち一人ひとりは主の十字架の前に  立ち帰りつつ関東ジェノサイドの歴史に向き合い追悼の営みを継承していきます。 そして、今この戦争への不安の高まる時代に、敵意と差別の生みだす暴力に沈黙することなく、真実の和解と平和を導かれる主に従い、「最も小さくされた」(マタイ25章40節)いのちと共に生きる宣教の道を歩んでいきます。このような社会に遣わされた教会、キリスト者として、記憶の継承に取り組み続けます。現実の黙認という自らの罪を私たちは悔い改めつつ、民族、文化、言語の違いを超えて共に生きる世界を造るために、少数者を排除する社会の在り方と闘い続けます。

2023年9月3日
関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年キリスト者追悼集会
(作成:「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年キリスト者追悼集会」実行委員会)