1970年1月1日
声明・「現代に平和を」

1. 「現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、とりわけ、貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。真に人間的なことがらで、キリストの弟子たちの心の中に反響を呼び起こさないようなものは一つもない」(現代世界憲章序文)と第2バチカン公会議は宜言した。
いまや1970年を迎えて、われわれは、この年が日本にとって極めて重大な年であることを考慮し、キリスト者各自が、日本の将来について真剣に祈り、考え、キリストの福音に照らされた真理の中に、真実の平和を打ちたてることができるようにと乞い願い、ここに、今後の日本のとるべき平和に対しての提言をなし、平和に対する教会の姿勢を示そうとするものである。
2.1970年代は、世界、またアジア、とくに日本にとって、平和と発展を願う善意の人々の努力をもっとも必要とする10年間となるであろう。1970年代はベトナム戦争の悲劇から学んだ人類が、新たな平和への可能性を探求しなければならないときである。さらにこの10年間は、国連が世界の共同開発のために、北の国々と南の国々との協力を呼びかけて制定した「開発のための第2の10年間」にあたる。またこの年代は、沖縄の祖国復帰などを機として、高度の経済力を誇る日本が、アジアの中で積極的な役割を求めて動きだすときでもある。
3.日本がアジアの中でどのような役割を担うことになるかは、広く日本国民の世論にかかわる問題である。このときにあたり、キリスト者は、市民として各々の立場に応じ、信仰に照らされた良心の命ずるところに従って、日本がその進路をあやまらず、人類共同体に対する責務を正しく遂行するようにあらゆる努力を惜しまないよう要求されている。
4.日本がどのような具体的政策を選ぶかは、確かに微妙な国際情勢の影響のもとにおいて、国家の安全、その他の国益に関するさまざまな配慮が作用し、この種の技術的判断や事実の認定については、キリスト者の間にも多様な立場が存在するのは当然である。
しかしながら、日本がとるべき道、また世界の中で果たすべき役割、そしてそ れらを実現するためにとるべき方策について、教会は関心を抱かざるを得ない。
5.教会は国が自らを守ることを認めるけれども、同時に平和の維持のための努力が―世界各国それぞれの軍備レベルを高める方向ではなしに―これを軍備縮小の方向において行われなければならないことを主張する。
核武装はもちろんのこと、重武装への道を日本が歩むことは、厳に戒めなけれ ばならない。キリスト者は、アジアにおける平和の維持に無関心ではありえないが、それが上の原則にかなう方策によって実現できるよう、非軍事的措置による安全の保障、軍縮のさまざまな方途、平和外交の展開に期待をかけるものである。
「正義、英知、人道的感覚は、軍備競争を止めさせることを切実に要求する。 種々の国々にすでに存する軍備を、平行的に、同時に縮小し、核兵器を禁止し、そして最後に、共同の協定のもとに有効な監視をともなって、軍備撤廃に到達することを要求する」。(ヨハネ二十三世回勅「地上の平和」3.政治共同体間の関係)
6.国際社会の現実の厳しさのために、これを完全に実施することが不可能であるとはいえ、日本国憲法にもられた平和主義の原則が、人類共同体の追求する平和の理念と合致しているという意味で、これを日本が指向すべき目標として高く評価すべきである。もちろんその実現は、日本一国の一方的宣言よってできるものではなく、さきに触れたアジアの平和維持の体制をつくる努力がともなわなければならない。
7.教会は、祖国愛を否定するものではなく、これが正義にかない、人類共同体との協力を妨げないかぎり、これを積極的に支持するものである。沖縄復帰を願う日本国民の悲願は、この意味で、高く評価されなければならない。
しかしながら、祖国愛が自国の強大さを誇り、いたずらに排他的な傾きに流れることは、極力さけなければならない。日本の技術、経済力がすぐれていることについては、自負に溺れるべきことではなく、これが人類共同体、とくにアジアの人々に対する日本の責務をともなうものであることを、認識する必要がある。
8.日本経済の驚くべき成長は、日本国民の誇りとするに足るものであるが、この高度成長がさまざまな公害をともない、人間関係の中に種々の問題を生じることも忘れてはならない。キリスト者は、これらのことを真剣に検討し、日本経済の成長にともなって起こる新しい諸問題と取り組み、日本国民全体の今後の努力の精神的な支柱となる必要がある。
9.とくに、日本社会の中でその繁栄のかげにおき忘れられた部分に対する配慮を忘れてはならない。また、日本の周辺のアジア諸国が、このような日本の繁栄とかかわりなく、依然として社会的不平等の中で貧困の状態におかれていることをも忘れてはならない。
このような事態をそのままに放置すれば、日本と他のアジア諸国との経済上の格差が今後ますます大きくなり、怨嗟と相互不信の溝がさらに深まることについて、教会は無関心であることができない。
10.日本は、今日関係諸国の期待に応えて、アジア諸国に対する経済・技術援助の努力を増大しようしている。キリスト者は、この努力を支持し、それぞれの立場に応じてこれに努力すべきである。またこの努力は、ただ単に日本の経済的利害関係に終始することなく、かえってアジア地域の共同開発への責任意識に根ざすものとなるように心しなければならない。そうすれば「財政援助や技術援助をよそおって、支配権の維持、獲得をもくろむ政治的圧迫あるいは経済的支配という、いわゆる新植民地主義」(パウロ六世回勅「諸民族の進歩推進について」 52)の現われを防ぐことができるであろう。そうしてこそ、日本の経済援助は、お互いの尊敬と友情を深め、各国が責任をもってともに進歩することができるのである。
またそのためには、日本の海外援助を単に経済問題として一部専門家に委ねることなく、日本国民がこぞってアジア諸国の人々との連帯意識に目覚め、アジア全体の発展のためにできるかぎり努力をしようという決意をもたねばならない。
そのときはじめて日本の今後の経済・技術援助が正しく伸びてゆくことができるのである。その意味で、キリスト者の果たすべき世論形成の役割は重大である。
11.1970年は、日米安全保障条約等の問題をめぐり、日本の今後の国際的役割について、真剣な議論が日本国民の間にたたかわされる年になるであろう。そして、キリスト者の間にも、具体的な日本の進路の選択をめぐって意見が対立することも当然予想される。このことは憂うべきことであるよりも、むしろこのことを通して日本社会の中にキリストが現存することの証しとなるために、キリスト者の果たすべき役割のあることを返って喜ぶべきであろう。
日本の進路を、この波瀾にみちた世界の中で定めることは決してたやすいことではない。さまざまな手段、いろいろな方策のいずれが、人類共同体への日本の責務を全うするのか、アジアの平和と発展に寄与するために、何がより望ましいものであるかは、日本国民が苦悩にみちた対話の中で、主体的に決定しなければならないことである。
キリスト者は、これについて出来あいの解答をもって臨むという安易な気持ちを捨て、これまで述べた諸原則を判断の資料としながら、さらに状況分析・研究を重ね、信仰に照らされた良心にもとづき、自己の責任において決断しなければならない。
12.人類の救いに奉仕する教会は、現代世界の実情を直視しようと望む。世界には今日もなお、戦争の破壊と脅威がもたらす困苦と不安が重苦しく人々の上にのしかかっている。
このような人類の苦悩と危機に際しては、公会議の教えるように「すべての人 が、真に平和を求めて新たに改心することなくしては、すべての人のために、すべてのところで真に、いっそう人間らしい世界を建設するという人類の仕事を果たすことはできない」(現代世界憲章77)のである。
キリスト者こそ、その責務を痛感する。そして真に平和を求める人々とともに一致し、すみやかに戦争の終結を願い、平和を築く重大な責任を担おうとするものである。そればかりでなく、遂にはいかなる戦争も絶対に禁止されるような時代を準備するために、全力を尽くさなければならない。
そして「この目的を実現するためには、諸国によって承認され、諸国に対して安全保障と、正義の遵守と、権利に対する尊敬とを確保できる有効な権限を備えた世界的公権を設置することが確かに必要である。この望ましい権力が設置されるまでは、現在存在する国際的最高諸機関は、共通安全保障のためのいっそう適切な手段を、熱心に研究しなければならない」(現代世界憲章82)ことを、教会は主張し、すみやかに実現されるよう世界に訴えるものである。
13. 終りにのぞみ、今一度公会議の宣言を新たにしたい。「現代の経済・社会開発に積極的に参加し、正義と愛のためにたたかうキリスト者は、自分たちが人類の繁栄と世界平和のために、大いに貢献することができるとの確信をもたなければならない。そして自分たちの行動を通して、個人としても団体としても、すぐれた模範を示さなければならない。絶対に欠くことのできない熟練と経験を身につけ、キリストとその福音に忠実に仕え、地上的活動において、価値の正しい序列を守り、こうしてその個人的、社会的生活全体に真福八端の精神、とくに貧しさの精神が行きわたるようにしなければならない。なにびとにせよ、キリストに従ってまず神の国を求める者には、すべての兄弟を助けるため、また愛の励ましのもとに正義の業を行うために、いっそう強くいっそう純枠な愛が授けられる」(現代 世界憲章72) と。
14. 「あなたがたが互いに愛するならばそのことによって、すべての人はあなたがたが、わたしの弟子であると知るであろう」(ヨハネ13,35)とキリストは言われた。
この重大な1970年の年頭にあたって、これら真剣な諸問題を通じ、世に仕える教会の使命がよりいっそう忠実に果たされ、兄弟的愛をより深め、「平和の君」(イザヤ9,6)であるキリストにおいて、真実の平和が、日本に打ちたてられるよう、切に願うものである。

日本司教団・正義と平和委員会