1980年5月7日
意見書
―世界宗教者倫理会議について―

日本カトリック正義と平和協議会
会員一同

私ども、日本カトリック正義と平和協議会は、1980年5月6日の会議の席上、上記「世界宗教者倫理会議」に対するカトリック教会のかかわり方について、真剣に討議いたしました。その結果、事柄の重大性と緊急性に鑑み、カトリック教会側の同倫理会議代表者の皆様に対して、私どもの立場を文書にしてご提示申し上げることを決意いたしました。
私どもは、諸宗教間の対話、協力、一致の重要性を深く認識するものであります。 私どもは、この大切な問題が、キリストのみ教えと教会の導きの中で正しく取り扱われてゆくことをひたすら願うものであります。
そして、私どものこの願いと努力は、創造主なる神のみ心に適った純正な信仰の原点に源を靠するものでなければならないと思います。
さて、この度の世界宗教者倫理会議の内容と、カトリック教会の内容を見ますと、信仰者の対話と一致の精神からも、自らの信仰をより高める観点からも、どうしても妥協してはならない幾つかの問題点があると思います。
とくに問題なのは、会議の実質的推進者とその意図であります。この点につきましては、私どもが収集しお配り申し上げた資料に明らかですが、最も顕著な現われは、教育勅語と明治天皇の記念日に会議の日程が重ねられている点であります。この時期には、神社神道ならびに日本の右翼、保守勢力がさまざまな行事、祭典を計画していることは、すでにご承知の通りであります。日本の一般国民の目には、世界宗教者倫理会識もその一貫であると映ることは、私どもの理解とはまったく無関係に、避け難い明白な事実であり、これこそ実質的主催者である神社神道と、その背後の「日本を守る会」などの真の目的であります。
さらに、主催者の役員の顔ぶれを見ますと、カトリック教会は、あたかも主催者の重要な柱であるかの如き印象を与えます。加えて、ローマ教皇庁の諸宗教聖省が、唯一の共催団体として名を連ねているのを見れば、日本の国民一般、良識ある市民 は、カトリック教会が挙げて天皇制と教育勅語の称揚に力を貸していると考えるにちがいありません。
しかしながら、この問題は、靖国法案、元号法制化、天皇公式参拝等の布石の上に、日本の右派勢力が達成を目指す当面の目標であり、広く国論を二分する重大な点にふれてくるものであります。
この時点で、カトリック教会が、結果的に明らかに一方に加担したと取られても、弁解の余地のないような会議の主催者、共催者に名を連ねることは、かえってカトリック教会が諸宗教の間に分裂を持ち込み、ひいては、カトリック内部の一致をも危うくする恐れがあります。
すでに同じキリストを主とあおぎ私どもに最も近くあるべきプロテスタント教会の多くが同会議の意図に関し疑義を持ち、また、この秋の教育勅語記念諸行事に、市民団体が反対運動を強めていこうとする流れの中で、倫理会議も矢面に立たされることが目に見えているとき、日本の最も右寄りの勢力と結び、神道の中でも一部をなす神社神道との一致のみに目を止め、他との分裂を招じ入れるような対話に固執するのは、カトリック教会の100年の方向を誤ることになるおそれがあります。
このようにして得られた一致は、純正な信仰を高め、神のみ心に適うものであるどころか、かえって政治的意図の一致として、後世批判されるであろうことに思いを致さざるを得ません。
神道およびカトリック以外の諸宗教は、私ども以上に受動的であり、「他ならぬカトリックも参加しているものであれば」と極めて消極的態度にあると思われるふしがあります。
もしこのままカトリック教会がさらに深みに踏み込むことになれば、近い将来教会は厳しい世論の批判にさらされることになるでしょう。その時になって、当時充分な判断材料がなかったとか、その後の展開は教会の意図に添わないものとなって しまった、というような弁明は通用しないと思われます。現在、主催者側は、カトリック教会内の慎重論、見直し論に動揺し、いろいろと体制の立て直しに動いています。この時期を逃しては、私どもがこの危険な誘惑から身を引く機会は二度と訪れないでしょう。私どもがいたずらに決断を遅らせ、曖昧な態度に終始することは、この会議を政治目的に利用せんと企てている人々の思う壺にはまることになります。時間の経過は、既成事実の固定化につながるからです。
カトリック教会がすでに相当深くコミットしてしまっているのは事実であり、今全面的に身を引くとなれば、いろいろと摩擦があるかも知れませんが、何もしないまま深みにはいっていくことのほうが、はるかに問題だと思われます。
私どもは、世界宗教者倫理会議の本質的問題点を決して誤解しているのではないのです。したがって一部役員の更迭や、プログラムの外面的手直し、字句の変更等による妥協に惑わされてはならないと思います。他ならぬこの時期に、この日程で、神社神道と組んで、同様の企画を主催することが本質的に問題となっているのです。日程の大幅な変更が容れられなければ、カトリック側の役員は全員辞退されるべきでしょう。また日程の変更に応じてきた時は、カトリック教会の主体性を充分に発揮して、内容のすべてを本来の宗教者の対話と一致に資するものとなるよう導いてゆくべきでしょう。
日程の変更を伴わずに為されるいっさいの妥協は、歴史の裁きの前に、自己欺瞞の烙印を押されるにちがいありません。
たいへん差し出がましい申し出であり、なお、例会出席者一同の思いを充分に尽くさぬ文章ではありますが、行間に私どもの熱い期待をお読み取りいただき、聖霊 に導かれて、英断を下されますよう、一同そろってお祈り申し上げます。