(邦訳)
1989年8月14日
ニューヨーク
国連非植民地化特別委員会に於ける東チモールに関する陳述
カトリック司教 相馬信夫
議長、代表団の皆さん、まず初めに非植民地化特別委員会がこれまでに東チモール問題の平和的解決のために尽力して来られたことに、心からの敬意を表させていただきたいと思います。私は日本カトリック正義と平和協議会を代表して、ここに出席いたしております。東チモール問題は、申すまでもなく当委員会の重大関心事の一つであります。
しかしながら、苦悩の中にある東チモール人の恐るべき現実を当協議会がありのままに認識するに至ったのは、わずか数年前に過ぎません。それは主にマルチノ・ダ・コスタ・ロペス前東チモール教区長の日本訪問を通してのことでした。遺憾なことに、日本の教会が東チモールについて非常に認識不足であるように、アジアの大多数の教会は、この問題についてわずかな認識しかもっていないのが現状です。「なぜそうなのか」と私は自問し、そして、インドネシアが隣国であるアジア諸国からも、東チモールの惨劇を隠し、全くの情報不足にしておくことに成功したのであることに気づいたのであります。
東チモールに関する情報収集等については、日本カトリック正義と平和協議会は東チモールと連帯する日本の市民グループに尊敬の念を抱いております。この度私がこの委員会に出席することになったのも、こうしたグループの方々の人道主義的熱意に促されてのことでもあるのです。私達の委員会は、この市民グループと共に「東チモールに自由を! 全国協議会」の構成団体となっています。
東チモールの現状を知って以来、わたしたちはこの悲劇の核心に触れようと全力を尽くして来ました。そして、東チモールでの出来事が単なる戦争にとどまるのではなく、全人口の3分の1もの人々がそれによって生命を失った紛れもないジェノサイド(民族絶滅)であることに気づいたのです。この人々に対して私たちが抱いている懸念は、日本とインドネシアの緊密な経済関係に目を向けたとき、更に大きなものになります。日本の対インドネシア経済援助の一部が、東チモールの自由と平和を求める運動の制圧に費やされている、ということは、今では事実として知られている所です。私たちは、日本人として、わが国のこの経済至上主義を償う必要性を痛感しております。
私が堅い決意で東チモールを支援しようと思ったのは、最近同国に入国したある人から、現在もなお東チモールの人々はインドネシア軍に対する恐怖感に脅かされており、自由を求める権利の行使は全くなされていず、人々は戦争状態にある、との認識を持って、停戦への強固な望みを抱いているということを聞いたためでもあります。この人はまた、東チモールの教会の完全な孤立状態にも深く心を痛めた、と言っています。同国に修道院を持つ修道会の総長たちといえども、東チモールを訪問する時、現状をありのままに知ることは出来ません。なぜなら軍の監視ぬきに動くことが許されないからです。
しかしながら東チモール支援へと私を最終的に駆り立てたのは、他でもない東チモールカトリック教会の責任者ベロ司教のあの勇敢な手紙でした。それは、去る2月に国連事務総長に宛てて書かれたもので、私には、東チモール人の真の願望を理解するに十分なものと思われました。私は、常日頃東チモールのカトリック教会の指導力に敬意を抱いていましたがベロ司教の手紙はまさに賛嘆に価するものと思われました。そして5年前に同司教が述べられた次のような言葉を思い出したのです。「私は、人権と、東チモール人の権利の擁護のためなら、辞任させられても構わない。真実は公にされるべきである。」
議長、代表団の皆さん、このベロ司教の手紙に耳を傾けようではありませんか。あたかも司教がここ、我々の前におられ、東チモール人にかわって話しておられるかのように想像しながら。
司教は言われます。「東チモールを忘却のかなたに放置しないこと、それが大切です」と。これを聞いて私は教皇ヨハネ・パウロ二世が出された『少数者の尊重なしには平和は来ない』と題された手紙の中に書かれている私達、教会人の義務と使命を思い出さずにはいられませんでした。教皇は次のように言われました。「神の唯一の家族に属する者として、私達は自分たちの中に分裂や差別を許すことはできません……イエスが来られたのは、『全ての人が命を受けるため、しかも豊かに受けるため』(ヨハネ10・10)です。だれひとりとして、また、どのような集団も、今や私たちにゆだねられた、このひとつにする愛の使命から除外されてはなりません。」 真の一致は力によってもたらされるものではなく、生命に対する権利と自由に対する権利の尊重の上に築かれるものであります。上述のベロ司教の言葉は、私に国連憲章の前文をも思い起こさせます。「我々は……戦争の惨害から将来の世代を救い、…. 大小各国の同権に関する信念をあらためて確認し……一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること……を決意した。」東チモールこそ、憲章のこの精神を緊急に必要としている国の一つであることを否定する人があるでしょうか。
ベロ司教の手紙は、次のように続きます。「東チモールの人民は、われわれの国土の運命に関して、われわれも協議に加わるべきものと考えます……現在のところ、住民の意見はいまだ聴取されておりません。他の者たちがチモール住民の名においてしゃべっているにすぎません。インドネシアは東チモールの住民がインドネシアへの併合を選択したと述べておりますが、チモールの住民は一度もそのようなことは言っておりません。」この言葉も又、国連への呼びかけと言えます。なぜなら敵対する者同志を共に協議の席につかせ、平和的解決へと促す任務を国連は負っているからであります。ここで敢えて一つの提案をさせていただきたいと思います。それは、緊急に国連調査団を東チモールに派遣することです。というのは、私たちが心底東チモールに平和を望むなら、今こそ、そうした抜本的な方策を講ずるべき時である、と考えるからであります。
ベロ司教の手紙の最も重要な部分は「国連事務総長に対して、チモールにおけるより正常で民主的な非植民地化の過程すなわち『住民投票』の実施を開始するよう」要請している点です。私は非植民地化を国連の最も崇高な目的の一つと考えます。東チモールは非合法的にインドネシアによって占領されているので国際法上は植民地であります。従って、もしも国連がベロ司教のきわめて正当な要求に応じて、住民投票実施に向けて必要な手段を講じる努力を怠るならば、われわれが国連にかける期待は完全に裏切られることになるでしょう。私は心から祈りたいと思います。この非植民地化特別委員会の皆さんがベロ司教と同じように勇敢に、大国からの予想されるあらゆる圧力に対抗することができるように、と。
議長、代表団の皆さん、私は陳述の最後の部分を、アジア・オセアニア地域の教会指導者およびメンバーで、東チモールの人々への深い憂慮を表明している人々にかわって、みなさんに申し述べたいと思います。私の大いなる喜びとするところは、ここに1250通以上ものベロ司教の手紙支援の署名を提出できるということです。これは、アジア・オセアニア地域の枢機卿、大司教、司教、司祭、修道女ならびに東チモールを支援する教会の指導者に賛同したすべての善意ある信徒から私のもとに送られて来たものです。中には、その他に、世界の他の地域の人々からの署名もあります。これ程多数の署名は一体何を意味しているのでしょうか。それは「東チモールは忘れられてはいない」ということを力強く表わしています。この問題に対する関心と献身は増加の一途を辿っています。議長、代表団の皆さん、信頼できる筋から私が聞いたことを申し述べます。インドネシア当局は、ベロ司教の国連事務総長宛ての手紙の支援の声明に署名した疑いで、東チモールの指導的地位にある人々を逮捕し続けているということです。インドネシア政府によるこうした行動を深く遺憾に思い、東チモール人の民族自決への熱い望みを心から信じつつ、私は再度、皆さんにお願いします。ベロ司教の手紙の要望に真剣に耳を傾けて下さい。
最後に、インドネシアカトリック教会の司教方に–その中には私の親しい友人もおられます–私の心からの期待と評価を送らせていただきたいと思います。困難な状況下で彼等は、東チモールの苦しむ兄弟、姉妹たちのよき信仰上の仲間となるべく努めてこられました。どうか、東チモール教会との連帯を益々深めて下さい。そして最後に、信仰の違いを越えてすべての人々、特にこの委員会のメンバーの方々にお願い致します。インドネシア政府がその崇高な国家原則に忠実であるように、また、インドネシアと東チモールの双方が心から受け入れられるような東チモール問題の正しい解決法を見出すようにインドネシア政府に働きかけて下さるように、と。
御静聴ありがとうございました。