1995年4月16日

復活の主日に

 

新しい出発のために

戦後50年にあたって

日本カトリック正義と平和協議会の声明

 

 

平和を愛するすべての兄弟姉妹、

特にアジア・太平洋の皆さんへ

 

日本カトリック司教団は、先に「平和への決意」(1)という声明を発表しました。この中で司教団は、日本のカトリック教会が「尊いいのちを守るために、神のみ心にそって果たさなければならない預言者的な役割についての適切な認識に欠けていたこと」を認めるとともに、さらに、戦後の経済成長の裏に、「人間のいのちの尊厳を危うくし、真の平和を脅かす実にさまざまな非福音的なものが潜んでいること」を指摘しています。

私たち日本カトリック正義と平和協議会は、この二つの点が非常に重要であると判断し、この機会にこれらの点についての、私たちの見解を述べ、私たちの謝罪と償いの決意を明らかにしたいと思います。

 

1「天皇制国家主義のもとでの教会の戦争責任」

天皇制国家主義が支配した日本は、「大東亜共栄圏建設およびアジアの解放」という名のもとにアジア・太平洋地域に侵略戦争を行い、2千万人以上の兄弟姉妹を殺し、労働と性奴隷に強制連行し、戦場としてその大地を踏みにじりました。

歴史を振り返ってみると、日本は1894年の日清戦争以来、アジア・太平洋への大規模な侵略を行い、その結果を国益として享受してきました。

歴史は、私たち日本のカトリック教会もまた、アジア・太平洋地域の踏みにじられた兄弟姉妹の苦しみや訴えに耳を貸すことなく、戦争を正しく聖なるものとみなし、積極的に加担し押し進めてきたことを明白に記録しています。

日本のカトリック教会は、国家権力の圧迫と介入があったとはいえ、1932年のいわゆる「靖国神社参拝拒否事件」を契機に、「愛国心の表明」として神社参拝を公式に受け入れ、後には同じことをアジア・太平洋地域の兄弟姉妹にも強制しました。

1935年の「全日本教区長の共同教書」では、日本国は万世一系の天皇が統治する国であるから、「君の為、國の為に、精神誠意盡痺し」「二つと無き命をも欣び勇んで君國の為に」ささげよと忠君愛国滅私奉公を説いています。(2)

当時の代表的カトリック雑誌である「聲」誌に掲載された「大東亞戰争とカトリック」という記事は、「大東亞戰争の目的は、従来大東欧諸民族に課せられたる不平等なる羈絆より彼らを解放し、萬民にその處を得しめて東亞に恒久平和の樂土を建設せんとするにある」と教え、「八紘為宇の精神に基」づいて「敢然武器を取って起つことは、天主の深き配慮に基く」とし、「帝國の真意を理解せしめて」「東亞新秩序の建設に邁進」するために宣撫活動を行うよう奨励しました。(3)

1943年の「日本天主公教戦時活動指針」では、「本教団の総力を結集して、大東亞戰争の目的完遂に邁進」し、天皇を中心とする「國体の本義に基づき、本教団の教義を宣布」することを表明しました。(4)

また、カトリック新聞紙上において当時の教団指導者は、「今次聖戰は所謂帝國主義的侵略主義的意圖の下に惹起せられたるものでなく、徹頭徹尾破邪顕正の大義の聖戰であり、皇道一途の顕現を目指し以て道義に基く大東亞共栄圏の確立を主題としているのであります。」と述べています。(5)

このように、当時の日本のカトリック教会は、時の流れの中に神のみ心を読み取り、それを人々に告げ知らせ警告するというエゼキエル書の「見張り役」(33,1~7)を果たさず、むしろ侵略戦争に手を貸してしまいました。

 

2「 経済成長の裏にひそむ非福音的なもの」

かつて、アジア・太平洋地域を侵略した日本は、戦後もまた、その隣人を別な形で侵略し続けています。

戦後50年間私たち日本は、「大東亞共栄圏の建設の大業」に代わり「アジア・太平洋地域の平和相互協力をうたってきましたが、実際にはアジア・太平洋地域を日本の繁栄の道具として搾取してきました。爆弾に代わって巨大な資本が投下され、銃剣や戦車に代わってブルドーザーやチェーンソーがアジア・太平洋地域の森林を破壊し、軍艦に代わって巨大な商船が海と大地の富を収奪し続けてきました。

かつて、戦場の荷役や兵士、そして「慰安婦」として、アジア・太平洋地域の兄弟姉妹を強制連行した日本は、その兄弟姉妹を今また、極端に安い賃金と厳しい労働に駆り立て、さらに性的搾取の対象にしてきたのです。

こうした侵略戦争に続く「経済侵略」、そしてついには国際貢献の名のもとに自衛隊の「海外派兵」をも私たちは許してしまいました。これは、アジア・太平洋地域における日本の権益と多国籍企業の利益に組みするものであり、日本が過去に犯した過ちの轍を踏む危険をはらんでいます。

 

3「私たちの謝罪と反省、そして決意」

私たち日本カトリック正義と平和協議会は、特にアジア・太平洋地域の兄弟姉妹の皆さんに、過去に教会が犯した過ちを深く謝罪し、罪責の償いと回心の決意をここに表明します。

この決意は、経済のみならず、さまざまな形で今もなお継続している侵略に対して、「剣が国に向かって臨むのを見ると、角笛を吹き鳴らして民に警告する」見張り役(エゼキエル33,1)と預言者的な使命(同33,7)を受け継ぐことであり、不正義に対して戦うことを意味しています。

私たちが今なすべきことはいろいろありますが、特に「戦後補償」の問題は緊急です。日本政府は「戦後補償は国家間で決着済み」とし、個人補償も謝罪もせずに、元「従軍慰安婦」に対しては「民間基金による見舞金」構想で責任を回避しようとしています。こういったまやかしを許すことなく、私たちは戦後補償の実現に向けて、より積極的に日本政府に働き続ける決意です。

 

4「今後の課題」

戦後50年を迎えた今、私たちはアジア・太平洋地域の兄弟姉妹とともに生きようする具体的実現として、ようやく謝罪、反省、決意を表明するにいたりました。しかし、私たちがアジア・太平洋地域の人々に与えた被害の認識と、日本人としての自己検証は始まったばかりです。

私たちの力不足から今回の声明で触れることができなかった幾つかの重要な課題があります。

日本の教会は、なぜあの侵略戦争を正しく聖なる戦争ととらえたのか、その神学的根拠を解明すること。なぜあのように天皇制国家主義・民族主義の枠にとらわれ、のめり込んでいってしまったのかを分析し、その信仰のあり方を問うこと。これらのことは現在の私たちの信仰の問題でもあります。

さらに戦争の被害という側面からみるとき、私たち日本人にとって原爆と空襲による被害の問題は避けて通ることができません。これは特にアメリカの兄弟姉妹との和解にかかわってくる問題です。

さらに戦争の被害という側面からみるとき、私たち日本人にとって原爆と空襲による被害、そして沖縄の問題があります。これは特にアメリカの兄弟姉妹とともに取り組んでいかなければならない重要な問題です。

戦後50年を契機にして、これらの課題との取り組みをさらに深め、アジア・太平洋地域の兄弟姉妹との共生共働の基盤を持つ努力を続けるため、ここに決意を表明します。

 

日本カトリック正義と平和協議会

 

 

注(1)「平和への決意―戦後50年にあたって-」1995年2月25日

注(2)「全日本教区長の共同教書」日本カトリック新聞1935年5月12日参照

注(3) 「大東亞戰争とカトリック」東京大司教土井辰雄「聲」 1943年8 月号参照  信者にとっても、この戦争が正当なものであると述べている。

注(4) 「日本天主公教戦時活動指針」「聲」1944年6・7月号参照  当時のカトリック教会の基本方針と重要課題を述べている。

注(5)「必勝祈願祭における説教」教団総務大阪司教・田口芳五郎 日本カトリック新聞1944年8月27日参照  このように、この戦争が正しく聖なる戦争であると述べている。