第105代法務大臣 古川 禎久 様

2021年10月10日

日本カトリック正義と平和協議会「死刑廃止を求める部会」

部会長 竹内修一(カトリック司祭、イエズス会)

1010日の「世界死刑廃止デー」にあたり死刑執行停止を求めます

今月発足した岸田文雄内閣において、第105代法務大臣に就任されましたこと、お慶び申し上げます。同時にまた、私たちは、第19回「世界死刑廃止デー」にあたって、大臣が、在任期間中決して死刑執行の決断をされることのないように、と要請いたします。

現在のコロナ禍において、私たちは、二つのことを学んでいます。まず、私たちが当たり前だと(勝手に思っていた)日常生活は、実は、いとも簡単に失われるということ。次に、その中に生きる私たち自身も、(ぼんやりと思っていたほど)確かな存在ではないということです。このような私たちが、はたして、一人のいのちの存否について、その裁きの規範・基準になれるでしょうか。私たちのいのちは、確かに、儚い。しかし、同時にまた、尊厳も持っています。

死刑は、このいのちの尊厳に反するものであり、それゆえ、その廃止を訴える――これが、現代のカトリック教会の見解です。大臣は、かつて、ラ・サール学園において学ばれたと聞いております。おそらく、在学中には、さまざまな場面でこの生命観に触れ、学ばれたかと思います。その原点は、イエス・キリストの「福音」にあります。それは、一人の人間のいのちをその人のいのちとして慈しむ、というものです。教皇フランシスコは、2018年、『カトリック教会のカテキズム』(2267番)の改訂を承認しました。死刑は、「人間の不可侵性と尊厳への攻撃」である、と彼は語ります。昨年10月に公布された回勅『兄弟の皆さん』(263-270番)においても、彼は、カトリック教会は全世界レベルで、死刑廃止に取り組む決意にあることを確認しています。

死刑廃止――それは、ひとりカトリック教会だけの要請ではありません。地球上の「誰一人も取り残さない(leave no one behind)」、そのことを誓った「持続可能な開発目標(SDGs)」に取り組む国際社会の要請でもあります。私たちは、これまでも、全世界のカトリック教会だけでなく、すべての善意の人々とともに、日本政府に対して、死刑廃止を求め続けてきました。

大臣は、10月5日の法務省初登庁後の記者会見において、「死刑を廃止することは適当ではない」と回答されました。そのことを、私たちは、たいへん憂慮しています。かつて、アントニオ・グテーレス国連事務総長は、こう訴えました――「死刑は21世紀に相応しくない」(2017年10月10日の世界死刑廃止デー)。死刑廃止は、未だ適当ではないどころか、遅すぎるくらいでしょう。しかし、今からでも遅くはありません。実際、わが国では、2019年12月26日を最後に、死刑執行はなされていません。

国家の名のもとに、一人のいのちを奪う――それがいったい何を意味するのか、私たちは、冷静に、賢明に、また謙虚に考えるべきでしょう。世論に基づく死刑制度の存置――これは、極めて脆弱な根拠です。なぜなら、多くの国民は、死刑制度について、その実態をほとんど理解していないからです。

教皇フランシスコは、教皇として実に38年ぶりに来日しました。その時、彼は、首相官邸で次のように語りました――「結局のところ、各国、各民族の文明というものは、その経済力によってではなく、困窮する人にどれだけ心を砕いているか、そして、いのちを生み、守る力があるかによって測られるものなのです」(2019年11月25日)。

法務大臣(Minister of Justice)――その意味するところは、偽りやごまかしを退け、真実を明らかにし、「正義」を実現することにほかなりません。簡単な務めではありません。しかし、私たちは、大臣が真の意味でその職務を全うされることを祈っています。

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