声明 すべての人が与えられたいのちを十全に生きることができるように

〜3.11 東日本大震災東京電力福島第一原発事故から12年にあたり

  2023年3月11日は、東日本大震災東京電力福島第一原子力発電所事故からちょうど12年目にあたります。原発事故が起こった時、日本に住むほとんどすべての人が、これほど危険な原発はもうやめようと思ったものでした。政府も、可能な限り原発依存度を減らしていこうと言いました。ところが12年経ったいま、日本社会の多くの方が、あの時をすっかり忘れてしまったのではないかと、私たち日本カトリック正義と平和協議会平和のための脱核部会は感じています。私たちは「すべての人が与えられたいのちを十全に生きることができる」*世界の実現を望んでいます。しかし原子力の技術はこれと完全に矛盾する技術であると考えます。

私たちはもう一度、2011年3月11日のあの時のことを皆さんに思い起こしてほしいのです。そして「いのち」を大切にしていくとは、いったいどんなことなのか、改めてご一緒に考えてみたいと思います。

 

原発の危険

1)地震:地震国日本では1000ガル以上の強度の地震がたびたび起きています。しかし原発は、構造上の制約もあり約600~1,000ガル程度の耐震基準しか満たしていません。

2)放射性物質:原子炉内で起きる核分裂によって生み出される放射性物質は生物の細胞やDNAを傷つけ、がんなどの深刻な健康障害を引き起こします。

3)戦争:2022年2月以来、ロシアはウクライナの原発を威嚇的に攻撃しています(威嚇だけでも極めて危険です)。原発は、戦争による武力攻撃については施設設計において想定されていないため、一度戦争状態になれば、お手上げです。

 

福島第一原発事故後

福島第一原発事故では、大量の放射性物質が放出され、広大な土地と海洋を汚染し生態系全体に害を与え、福島県内だけでも16万人以上の人々が、故郷とそれまでの生業を失い、大切な田畑も歴史に育まれた地域社会も壊れてしまいました。政府が発令した「原子力緊急事態宣言」は、12年経った今も解除されていません。ところが現在、政府は「原子力緊急事態宣言」下、一般公衆の被ばく線量限度の20倍にあたる「緊急時」の被ばく線量限度20mSv/年以下になれば、避難の補償を打ち切り、住民の帰還を勧めています。また、発症率100万人中1~2人と言われるまれな病気である小児甲状腺がんが、福島県を中心に多発しています。福島県内で事故当時0歳から18歳だった約38万人中、2022年12月3日の発表で296人に甲状腺がんが確認されています。しかし政府は原発事故との因果関係を否定しています。

 

原発と戦争

2014年、政府は震災と原発事故からの復興事業として、福島・国際研究産業都市構想(イノベーションコースト構想)を立ち上げました。ところがこの構想では、デュアルユース(民生・軍事両用)のためのロボット開発など、近年の経済安全保障と深く関係を持ちながら進められていることが指摘されています。

そもそも原子力発電の技術は、第二次世界大戦の時代に進められた核兵器開発技術を利用して生まれたものでした。実は、日本が原子力発電を導入した理由に、原子力発電技術を「核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(潜在的可能性)」として保持するためという目的があったことを、原発導入を進めた政治家の発言や外務省文書が明らかにしています。原発と戦争は、つながっているのです。

 

原発回帰

政府は2月10日、ウクライナ戦争や中国との関係悪化を背景にエネルギー自給率を上げるため、気候変動に対応するカーボンニュートラル実現のためなどを理由に、原発の再稼働、運転期間延長、次世代革新炉の開発を盛り込んだ、「GX=グリーントランスフォーメーション実現に向けた基本方針」を閣議決定しました。

しかしながら、原発は戦争による武力攻撃を一切想定しておらず、国際関係の悪化を理由に原発を再稼働するなど最悪の選択という他ありません。気候変動は極めて深刻ですが、そもそも原発は放射能のゴミを作り出し、大量の温排水を海に放出して海水の温度を上昇させ、環境を破壊しているのです。原発は気候変動の解決策にはなりえません。

 

放射性物質も地震も解決できない。それは考えるまでもないほど明らかなことなのに、それを無視するように日本の原発政策は進められてきました。事故後、被害者の方々は本当にたくさんの、大切なものを失ったのに、政府の対応は矛盾に満ちた、無責任とさえ言えるものでした。さらに福島原発事故の悲劇が、復興の名のもと、軍事に利用されようとさえしています。原発の背後に見える戦争との関係を無視はできません。

原発を続けるという選択は、これらを黙認することでもあります。原発は、未来世代に渡さなければならない地球環境(持続可能性)も、少しでも健康的に正直に、自分自身を生きる権利(尊厳)も奪います。「すべての人が与えられたいのちを十全に生きることができる」世界を望むのなら、持続可能性と私たち一人ひとりの尊厳を、決して手放してはならないと、私たちは考えます。

 

*島本 要大司教『いのちのまなざし』(日本カトリック司教団 2001年版 あいさつ)より

 

2023年3月11日

日本カトリック正義と平和協議会

平和のための脱核部会  部会長 光延一郎神父

 

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