Prot  Jp-d 15-02

2015年8月12日

内閣総理大臣 安倍晋三 殿

原子力規制委員会委員長 田中俊一 殿

九州電力株式会社代表取締役社長 瓜生道明 殿

 

日本カトリック正義と平和協議会・平和のための脱核部会

部会長 光延一郎

 

九州電力川内原子力発電所の再稼動に関する声明

 

私たち、日本カトリック正義と平和協議会・平和のための脱核部会は、8月11日に実施された九州電力川内原子力発電所再稼動に強く抗議し、稼働停止を求めます。

 

4年5か月前に起こった福島原発事故は、未だに全く解決していません。10万人以上の人々が故郷を失い、避難生活を強いられ、森の除染は進まず、海水の汚染は限度を知りません。将来を担う世代には、甲状腺がんの発症が多発しています。

福島原発事故の原因究明がなおざりにされ、また国民の6割近くの人々の原発再稼働反対の意思と地元住民の説明会を求める声をも無視して、原発再稼働が強行されたことに対して、私たちは強い懸念と憂慮を表明いたします。

政府、原子力規制委員会、そして電力会社は、原発再稼働の主体と事故が起こった場合の責任をそれぞれになすりつけ合う、底抜けの無責任体制で川内原発を再稼働させました。

原子力規制委員会の審査は、委員長自身が言う通り、立地・周辺住民はもとより国民の安全を保証しているものとは言い難いものです。しかも、新規制基準は、地域防災、巨大噴火など自然災害への対処規制基準がきわめて不十分であり、災害弱者に対する配慮を著しく欠いていると言わざるをえません。

政府や九州電力が原発再稼働を急ぎ、ここに既成事実をつくろうとするのは、3・11以後に国民から強く非難された利益共同体(原子力ムラ)に連なる企業や人々が、相変わらず自らの利益を優先しようとする企てによるものでしょう。そこには、日本社会が原発の大事故という深刻な人類史的出来事の責任を担っていることを全くないがしろにする姿勢が露顕しています。

日本のカトリック司教団は、2011年11月8日に「いますぐ原発の廃止を~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~」とのメッセージを発表しました。それは「なによりまず、わたしたち人間には神の被造物であるすべてのいのち、自然を守り、子孫により安全で安心できる環境をわたす責任があります。利益や効率を優先する経済至上主義ではなく、尊いいのち、美しい自然を守るために原発の廃止をいますぐ決断しなければなりません」との倫理的な理由によるものでした。

原発を「現代のバベルの塔である」と言った教皇フランシスコは、今年の6月18日に『ラウダート・シ』(アッシジの聖フランシスコが自然の恵みを賛美する「太陽の賛歌」、「わたしの主よ、あなたは称えられますように」より)と名づけられた環境・エコロジーに関する回勅を発表しました。その中で教皇は、地球上のすべての人々が環境において相互に緊密に結び合っており、とりわけ地球環境の脆さと貧しい人々の生活状況の間には密接な繋がりがあるため、テクノロジーに由来する新たな形の権力に対する批判、経済や進歩についての新たな理解仕方の模索、それについての国内・国際政治の誠実かつ正直な議論の責任の重大さを訴えています。地球上に生きる人間たちは「創造との和解」「人間相互の和解」「神との和解」において、平和な人類社会を築くことが求められています。

カトリック教会の社会観にとっての重要な概念に「共通善」があります。それは、「集団と個々の成員とが、より容易に自己完成を達成できるような社会生活の諸条件の総体」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』26項)であり、社会生活の道徳的な善、存在意義そのものです。「共通善の実現は、政府当局の存在理由そのもの」(ヨハネ23世『地上の平和』32項)です。今回の原発再稼働に、こうした視点は顧慮されたでしょうか?

 

私たちは、日本社会が福島原発事故を直視し、脱原発を求める多くの人々の声に耳を傾け、核という現在のみならず未来のいのちをも脅かすエネルギー政策を問い直し、自然と人類に負荷の少ない発電方法に速やかに移行することを強く求めます。