1981年7月
平和と現代の日本カトリック教会
―教皇「平和アピール」に答えて―

1981年2月25日、広島平和記念公園において教皇ヨハネ・パウロ二世が全世界に向け、9ヵ国語で行った平和アピールの意味は、世界にとっても、アジアにとっても、日本にとっても、また日本のカトリック教会にとっても、計り知れない重要性を持つものであります。

世界の軍事化と貧困
このアピールは、世界を覆っている原子爆弾の脅威と、米・ソ両国の関係の緊張、これを取りまく東西両陣営の対立、第三世界(発展途上国)にまで及ぶ世界の軍事化と暴力化の動向をふまえて考えなければなりません。
更に、世界人口の3/4に及ぶ第三世界を中心とした飢えと貧困、特に世界の人口の1/4を占める先進諸国が世界の所得の4/5を占め、人口の3/4を占める30億人の総所得の1/5によって生きている事実からくる恐るべき生活の格差(ブラント委員会の報告による)、しかも途上国内における貧富の格差を考える時、その最貧部における計り知れない貧しさが示す世界の情況も大切な背景をなしていることを忘れてはなりません。
例えば、最貧国の子供の1/4は5歳に達する前に死に、最貧国の一人当たりの経済成長は10年間で年1ドルと言われています。
また、世界の軍事支出、年5千億ドル(100兆円)に比べれば、これらの貧国の悲惨さを救うための開発のための支出は驚くべく少額であります。
例えば、全世界の政府開発援助のための支出は年間わずか200億ドルです。また、現在世界に保有されている核兵器の破壊力は広島に投下された原爆100万個に匹敵しています。また、北の先進国から南の途上国への武器輸出(1979年)は、年間前述の政府開発援助の70%に当たる140億ドルに当たっています。
現在、世界平均で6ドルの税金のうち1ドルが軍事費に向けられています。世界の軍事化の危険がいかに大きいかがうかがわれます。
東京サミットの話し合いの一つの基礎となったと言われるブラント(西ドイツ前首相)委員会の報告(南と北・生存のための戦略)は、「軍備競争においては、関係諸国は国家の安全保障(あまりにも限定されすぎた概念であるが)を大義名分として行動してきた結果、人類滅亡が現実的な可能性として考えられる状況が生み出されてきた。我々は紛争が戦争に転ずるのを十分防げるだけの力を持った。しかも全世界的に尊重される平和維持のメカニズムを築きあげるという目標を片時も忘れてはならない。諸国家の安全を確保する上での国連の役割を強化することにより、各国の軍事支出の削減を表現し、もって開発援助を含むより建設的な目的に資源を振り向けるべきである」と言っています。

平和に関する教皇発言
以上、簡単に述べた世界の情況を頭において教皇の平和アピールを読む時、私たちはその意味の深さと緊迫性に驚かずにはいられません。
*「戦争は人間のしわざです。…戦争は死です。」
*「過去を振り返ることは将来に対する責任をになうことです。……広島市と日本国民は、『自分たちは平和な世界を希求し、人間は戦争もできるが平和を打ち立てることもできるのだ』という信念を力強く表明しました。この広島から、この広島の出来事の中から『戦争に反対する新たな世界的な意識』が生まれました。」
*「核戦争の恐怖とその陰惨な結末については、考えたくないという人がいます。当地での出来事を体験しつつも、よく生きてこられた人々の中にさえこう考える人がいます。また、国家が武器を取って戦い合うということを、実際に経験したことのない人々の中には核戦争は起こり得ないと考えた人もいます。更に核兵器は、力の均衡を保つため、致し方のないものだとする人もいます。しかし戦争と核兵器の脅威にさらされながら、それを防ぐための各国家の果たすべき役割、個々人の役割を考えないで済ますことは許されません」
*「過去を振り返ることは将来に対する責任をになうことです。1945年8月6日のことをここで語るのは、我々が抱く『現代の課題』の意味をよりよく理解したいからです。あの悲劇の日以来、世界の核兵器はますます増え、破壊力をも増しています。」
*「私が国連総会で述べたことをここに再び繰り返します。各国で数多くのより強力で進歩した兵器が造られ、戦争へ向けての準備が絶え間なく進められています。それは戦争の準備がしたいという意欲があるということであり、準備が整うということは、戦争開始が可能だということを意味し、更にそれはある時、どこかで、なんらかの形で、だれかが、世界破壊の恐るべきメカニズムを発動させるという危険をおかすということです。」
*「広島を考えることは、核戦争を拒否することです。広島を考えることは、平和に対して責任を取ることです。」
*「戦争という人間が作りだす災害の前で『戦争は不可避なものでも必然でもない』ということを、我々は自らに言い聞かせ、繰り返し考えてゆかねばなりません。」