1993年8月6日
1993年平和旬間
岡田司教メッセ-ジ
過去を振り返ることは 将来に
対する責任を担うことです

「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。・・」
1981年2月25日、広島を訪問された教皇ヨハネ・パウロ2世は力強く、全世界に 向かって『平和アッピール』を発表されました。教皇はこのアッピールの中で繰り返し、「過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです」と述べて、わたしたちが明日の平和のために働かなければならないことを訴えられました。
司教団が1982年に『平和旬間』を定めたのは、この教皇の訴えに応えるためでした。人類の歴史は戦争の歴史です。人類はいやというほど戦争の恐ろしさ愚かさを経験しました。それにもかかわらず戦争はなくなりませんでした。年月は戦争の事実を風化させ その記憶を薄れさせます。戦争を繰り返さないためわたしたちは戦争の記憶を新たにし、 戦争の悲惨さを次の世代に伝えていかなければなりません。特に唯一の被爆国である日本は、原爆の恐ろしさを全世界の人々に伝え、完全なる核廃絶を訴える、という責任を持っています。
広島、長崎の被爆を思い起こすことは、人類にとって最も愚かで非人間的な現象である戦争について考えることをも意味します。特にわたしたち日本人にとっては、あの十五年戦争を思い起こすときでもあります。広島、長崎を思うことは、日本人の悲惨な戦 争体験を思い起こすことです。しかし、太平洋戦争を思い起こすことは、同時に、この戦争において筆舌に尽くしがたい苦しみを体験した人々のことを思い起こすことでもあります。
1986年、東京のカテドラルにおいて、アジアの司教たちの前で、当時の日本カトリック司教協議会会長白柳誠一大司教は次のように述べました。
「わたしたちは、この戦争に関わったものとして、アジア・太平洋地域の二千万を越える人々の死に対して責任を持っています」。
広島、長崎の被爆者の苦しみを思い起こすことは二千万を越える人々の苦しみにつながっていかなければなりません。戦争において被害者は加害者であるという悲しい真実を深く心に刻みつけるべきです。
1989年1月、昭和天皇の逝去に際し司教団はメッセージを発表し、その中で教皇の言葉を引用して次のように述べました。
「いま私たちは、『過去を振り返ることは将来に対して責任を担うことです』との教皇ヨハネ・パウロ二世のお言葉を肝に銘じ、昭和における過ちを償う心をもって、世界 の平和のために貢献する決意を新たにいたしましょう」。
平和は真実という土台の上に築かれます。あの十五年戦争が、わたしたち日本人にとって何であったのかばかりではなく、アジア・太平洋地域の人々にとって何であったのか、ということを謙虚に学ぶことが必要です。
今なお深刻な傷が残っているアジア・太平洋地域の人々は今なお日本に向かって、戦争の残虐さを訴えています。まずわたしたちはこの声に耳を傾け、何をなすべきか真剣に考え祈らなければなりません。
平和は愛の実りです。アジアの国々の人々の痛みに無関心でいてどうして平和のために働くことができるでしょうか。平和は正義の実りです。アジアの人々の怒りと悲しみに対してなすべき償いをしないでどうして平和を築くことができるでしょうか。
平和旬間を迎えてわたしたちは、過去の真実、しかも加害者としての歴史をしっかりとみつめる勇気を持ちましょう。そしていまアジアの人々の中に消えないで残っている戦争の傷痕に目を向ける努力をいたしましょう。そしてさらに、現在日本はアジアの兄弟姉妹とどんな関係にあるのか、考えてみましょう。またわたしたちキリスト者は、これからアジアにおける教会の一員として、何をなすべきか、ともによく考え祈り求めなければならないと思います。
1983年7月9日、司教団は平和についての教書『平和への望み』を発表しました。 今年はちょうど十周年にあたります。この機会に是非この教書を学習してくださるよう皆さんに、特に若い皆さん、少年少女の皆さんにお願いいたします。
「実にキリストご自身こそ、わたしたちの平和です」 (エフェソ2・14)。わたしたが求める平和はキリストご自身によって造り上げられ実現されている平和です。信仰のうちにキリストの神秘を見つめキリストに従い、一歩一歩平和の実現へ向けて歩んでいきましょう。
わたしたちの主イエス・キリストの平和がいつも皆さんとともにありますように。
1993年平和旬間にあたり、

日本カトリック正義と平和協議会
担当司教
ペトロ 岡田武夫