2019年8月15日

日韓政府関係の和解に向けての会長談話

日本カトリック正義と平和協議会会長 勝谷太治

日本と韓国の政府間の関係が緊迫しています。「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」(二コリント5・18)との言葉を託された教会として、私たちが大切な隣人である韓国との間で、いかに和解と平和を深めることができるかを考えましょう。

■徴用工賠償判決をめぐる日韓政府の対立

2019年7月4日、日本政府は韓国に対する半導体等の素材の輸出手続きを煩雑にする措置を、さらに8月2日には、日本からの輸出管理上の優遇措置が得られる「ホワイト国」からの韓国の除外を発表しました。この措置は、韓国からすれば極めて敵対的な仕打ちであり、両国政府の関係悪化は、今後、長期化することも予想されます(注1)。

こうした強硬措置のきっかけとなったのは、2018年10月以後に言い渡された韓国の大法院の判決でしょう。それは、徴用工と呼ばれる人々の被害に対する慰謝料の支払いを日本企業に命じました。この判決に対して日本政府は、賠償問題は1965年に日韓基本条約とともに締結された日韓請求権協定によりすでに解決済みであり、この司法判断に対する韓国政府の無作為は、国際法と国際約束の原則に違反し、言語道断であるとしています(注2)。

しかしながら日本の弁護士や学者たちからも、韓国大法院判決に対する日本政府のこの対応は適切でないとの指摘がなされています。民主主義社会における三権分立下において、行政府が司法に干渉してはならないのは当然であり、韓国政府にこの判決へのなんらかの対応を求めること自体がおかしいということ。また日韓の政府、および最高裁は、請求権協定において国家間の請求権は消滅しても戦争被害賠償にかかわる「個人の請求権は消滅していない」との判断では一致していると指摘されています(注3)。

元徴用工の人々は、劣悪な環境での労働を強いられた被害への個人賠償を求めて訴訟を起こし、韓国大法院の判決は、それを植民地支配と侵略戦争に直結した非人道的行為による人権侵害として認め、その精神的被害への慰謝料を、労働者を直接使役した日本企業に対して命じたのでした(注4)。

ところで現在、日韓の人と物の交流は圧倒的です。2018年の日韓の輸出入の合計は9兆3430億円。韓国は日本にとって中国、米国に次ぐ第3の貿易相手国であり、両国の間を毎年1000万もの人々が行き来しています。韓国の人々にとって日本は旅行先としてとても人気があります。日本においても韓国の音楽や映画・ドラマ、食べものや化粧品などを含めて交流のすそ野は、若い世代にまで広く浸透しています。日韓カトリック教会の司教団も20年以上にわたり相互の訪問を続けており、両教会の間ではさまざまな交流と協力が進んでいます(注5)。

しかしながら今、日本政府の輸出規制により韓国では日本製品の不買運動が起こり、日本においても「従軍慰安婦」を象徴する「平和の少女像」の公立美術館での展示が、首長によるあからさまな嫌悪の表明をきっかけとして中止に追い込まれたり、さまざまな交流行事が中止されたりするなど、市民のレベルにまで亀裂が及んでいます。

そして日本の多くのマスメディアは、日本政府の言うことを大きく伝えますが、韓国側の言い分については無視しがちであり、その結果、日本社会一般の見方は韓国政府批判へと傾いているようです。教皇フランシスコが「真理を識別するためには、交わりと善を促すものと、その逆に孤立と分裂と敵対をもたらすものを見分けなければなりません」(注6)と諭されるように、私たちは、煽動にまどわされず、情報の真偽を見きわめられるよう目を開いていなければならぬと思います。

■日韓基本条約・日韓請求権協定と植民地支配の責任

私たちは、現在の日本と韓国の間の緊張は、深層において、日本の朝鮮半島への植民地支配とその清算過程で解決されずに残された問題に原因があることに注目すべきだと思います。問題の核心は、1965年の請求権協定を根拠に植民地支配の歴史への加害責任を認めようとしない日本政府の姿勢と、それに怒る被害国・韓国の人々の思いとの間の溝にあります。

日韓の複数の専門家によれば、協定本文や締結までの交渉過程から判断すれば、日韓請求権協定が対象としたのは、通常の合法的な契約に基づく債権債務関係のみであり、そこに植民地支配に基づく徴用時の非人道的行為について賠償請求は含まれていないとされます(注7)。

1965年の日韓基本条約および請求権協定は、冷戦体制のもとで、米日韓の戦略的構想に押されて急いで締結されました。日本政府は、その交渉過程において、一貫して植民地支配の責任を否定しました。請求権協定で決められた日本から韓国への3億ドル相当の現物供与、2億ドルの有利子借款には、日本政府によれば過去の償いの意図は入らず、あくまで経済協力だとされました。基本条約も、両国の間の歴史認識の根本的対立を知りながらも、それぞれ自分に有利な解釈を可能とする文言が挿入されたことにより、植民地支配責任問題は棚上げしたのでした。

両国の関係の中心に刺さった棘である、植民地支配の責任に関するそもそもの合意が基本条約と請求権協定に存在しないこと、これが、日韓関係が膠着する根源なのです(注8)。

日本政府による輸出規制問題に対して、韓国国民の間に日本製品の不買運動が広がることの背景にはこうした事情があります。韓国の人々の多くは、100年以上前から日本は奸計(かんけい)と強迫によって朝鮮を侵略し、その手法は今も同じだと怒っており、それが不買運動に現れているのでしょう。

政治がどうであれ、日本と韓国が大切な隣国同士であることに変わりはありませんし、政治が独走して人々の友好関係を傷つけることがあってはなりません。両国政府は、相手を「非友好国」とみなし、国民の間に脅威や憎悪の意識を植えつけることで、自国の政治の動力を得ようとしてはなりません。

また言うまでもなく、日本がかつて侵略し、植民地支配をした歴史を負う国に対しては、日本政府には特別慎重な配慮が必要でしょう。問題の解決には、相手をリスペクトする姿勢を基として、冷静で合理的に対話する以外の道はありません。

■和解に向けて

平和学者ヨハン・ガルトゥング氏が「超越法」として提唱するように、国家間の紛争は、両当事国の望みがともに達成されるとともに、両者がこれまで以上の何かをともに作り上げることで確執を乗り越えるべきでしょう。日韓両国政府には、共に知恵をしぼり、行き詰った二項対立の悪循環を脱し、壊れた関係を修復していく道筋を見出していくことが求められます(注9)。

「基本条約」や「請求権協定」にこだわり、解釈の袋小路から抜け出せないのならば、日韓間の真の友好関係を築きあげるためには、明確な「植民地支配の清算」を含んだ新たな法的な枠組みを作ることも考えられねばならないでしょう。

また特に日本社会に蔓延する、隣国やその国民に対するヘイトスピーチの風潮や、歴史修正主義を真剣に是正し、正確な歴史認識と反省の上に立って、平和で公正な国際関係を構築する人類社会の歩みに次世代の人々を導かなければなりません。

 

徴用工裁判原告の年老いた被害者は、自らの問題が日韓関係の険悪化を招いたのではないかと心を痛めています。しかし、その責任は被害者個人に帰せられるべきものではありません。キリストは、「罪によって互いに憎み分裂するわたしたち人間の心に愛の火をともし、心の武装解除をなさしめ、傷ついた心をいやし、人類一致と恒久平和のための内的基礎を築いてくださるかた」(注10)です。日韓の政治指導者は、緊張を高めるのではなく、過去に誠実に向き合い、未解決のままにしてきたさまざまの問題を当事者の立場から解決していくべきです。そうした試みが実を結び、日本と韓国、日本と朝鮮半島との信頼と友好関係が発展し、それが東アジアの平和体制の実現に結びついていくように、平和旬間の今、教皇がアシジのフランシスコの「平和を求める祈り」をもとに示された、次の祈りを心に留めながら、平和の主に祈りましょう。

主よ

わたしたちをあなたの平和の道具にしてください。

交わりをはぐくまないコミュニケーションに潜む悪に気づかせ、

わたしたちの判断から毒を取り除き、

兄弟姉妹として他の人のことを話せるよう助けてください。

あなたは誠実で信頼できるかたです。

わたしたちのことばを、この世の善の種にしてください。

騒音のあるところで、耳を傾け、

混乱のあるところで、調和を促し、

あいまいさには、明確さを、

排斥には、分かち合いを、

扇情主義には、冷静さをもたらすものとしてください。

深みのないところに、真の問いかけをし、

先入観のあるところに、信頼を呼び起こし、

敵意のあるところに、敬意を、

嘘のあるところに、真理をもたらすことができますように。

アーメン。(注6)

(注1)半導体材料3品目の輸出規制については、経済産業省が「日韓間の信頼関係が著しく損なわれた」として「韓国との信頼関係の下で輸出管理に取り組むことが困難になった」と7月1日突然に表明した。世耕弘成経産相は翌日の記者会見で、元徴用工問題について「G20(首脳会議)までに満足する解決策が得られなかった」ため、「韓国との信頼関係が著しく損なわれた」と指摘した。さらに安倍晋三首相は7月7日のフジテレビの党首討論で「徴用工の問題で、国と国との条約(日韓請求権協定)を守らない国であれば(安全保障上の)貿易管理をしているかどうかわからないと考えるのは当然だ」などと述べた。

(注2)2018年10月30日の韓国大法院判決を受けて、安倍首相は、同日の衆議院本会議において、元徴用工の個人賠償請求権は日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決している」とした上で、本判決は「国際法に照らしてあり得ない判断」であり、「毅然として対応していく」と答弁した。河野外相も「極めて遺憾で、断じて受け入れられない。…日韓請求権協定に明らかに反し、日本企業に対し不当な不利益を負わせるものであるばかりか、1965年の国交正常化以来築いてきた日韓の友好協力関係の法的基盤を根本から覆すものであって、極めて遺憾であり、断じて受け入れることはできない」と述べた。

(注3)2018年11月5日「元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明」(http://justice.skr.jp/koreajudgements/statement.pdf)、山本晴太「日韓両国政府の日韓請求権協定解釈の変遷」(2014年)参照。日本政府の答弁としては、1991年12月13日参議院予算委員会、1992年2月26日衆議院外務委員会、1992年3月9日衆議院予算委員会における柳井俊二条約局長答弁。1992年4月7日参議院内閣委員会における加藤紘一外務大臣答弁。2007年4月27日、西松建設への中国人強制連行の被害者による賠償訴訟についての最高裁判決。2018年11月14日、河野太郎外務大臣発言等参照。

(注4)日本帝国が1910年より植民地支配していた朝鮮半島における「徴用」は、1938年から1945年にかけて、戦時体制下における労働力確保のため、人々を多くは強制的に日本に連行し、様々な場所で労働させた。それは「朝鮮人内地移入斡旋要綱」(1942年)や「国民徴用令」(1944年)など、日本政府が作った制度の下で実施された。新日鉄住金株式会社に対する訴訟の原告である元徴用工は、賃金が支払われずに、感電死する危険があるなかで溶鉱炉にコークスを投入するなどの過酷で危険な労働を強いられていた。提供される食事もわずかで粗末なものであり、外出も許されず、逃亡を企てたとして体罰を加えられるなど極めて劣悪な環境に置かれていた。

(注5)1998年に来日したキム・デジュン韓国大統領は、日本の国会で演説(10月8日)し、戦後の日本は議会制民主主義のもと、経済成長を遂げ、アジアへの援助国となると同時に、平和主義を守ってきたと評価した。そして「日本には、過去を直視し歴史を恐れる、真の勇気が必要であり、韓国は、日本の変化した姿を正しく評価しながら、未来の可能性に対する希望を見いだす必要があります」と呼びかけた。その実りである「日韓共同宣言 二十一世紀の新しい日韓パートナーシップ」により、日韓の文化と市民の交流は、その後、圧倒的な規模で展開されてきた。

(注6)2018年5月6日 第52回「世界広報の日」教皇メッセージ「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8・32)「フェイクニュースと平和的ジャーナリズム」

(注7)吉澤文寿編著『五〇年目の日韓つながり直し 日韓請求権協定から考える』(2016年、社会評論社)、同著『日韓会談1965 戦後日韓関係の原点を検証する』(2015年、高文研)、太田修著『日韓交渉 請求権問題の研究』(2015年、クレイン)などを参照。

(注8)日本政府は、日韓基本条約の交渉過程において、植民地支配の責任を一貫して否定し続けた。1952年から開始された交渉が何度も中断されたのも、日本政府の植民地支配の責任回避の姿勢に反発する韓国民の民意に押されてのことだった。しかし、米国の冷戦戦略による圧迫や韓国の軍事政権下における経済開発主義、あるいはまた日本による植民地政策は韓国の近代化に益したという植民地「施恵」論のもとで、基本条約および請求権協定は、植民地支配責任に言及しない形で締結された。日本から韓国への3億ドル相当の現物供与、2億ドルの有利子借款による経済援助は、日本政府による「独立祝い金のようなもの」(椎名悦三郎外相発言、第50回国会参議院本会議1965年11月19日)であるとされた。

さらに遡れば、日韓基本条約の第2条「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定はもはや無効(already null and void)であることが確認される」についての解釈も対立したまま積み残された。というのは、韓国側の解釈では、無効なのは1910年の併合条約及びそれ以前に大韓帝国と日本帝国との間で締結されたすべての条約であり、日韓併合はそもそも韓国の同意に基づかず、不法に強制されたものであったとされる。これに対して日本側は「もはや無効(already null and void)」という表現をいれると「ある時点までは有効だった」という含みが生まれ、併合条約は1948年の大韓民国政府の樹立によって失効したが、それ以前は合法であり有効だったと解釈する。それゆえ、この条約においては、植民地支配に対する反省も謝罪もおこなわないとの立場である。こうして第2条に「もはや(already)」が挿入されたことにより、1910年から1945年までの日本による朝鮮半島支配の責任問題は棚上げにされた。韓国の人々の多くは、この条約と協定は両国の間の歴史認識の根本的対立を知りながらも、それぞれ自分に有利な解釈を可能とする「談合」だったととらえている。(注7)の参考図書を参照。

(注9)紛争解決について豊かな経験をもつ平和学者ヨハン・ガルトゥング氏は、紛争が起きた時には、両者の望みがともに達成されるとともに、両者がこれまで以上の何かをともに作り上げることで互いの確執を乗り越える「超越法」という和解の方法を提起している。紛争両当事者に求められるのは、まず被害者と加害者両方のいやしのプロセスである。これは、対立の外部要因(当事者外の自然・社会・歴史的環境など)を共同で検討すること、加害事実の承認と謝罪、賠償、その事実の公的な宣言などで進む。しかしこれにはさらに、両者が過去を清算し、共同の未来の建設していくこと、すなわち起こった不幸な出来事を水に流し、しめくくるプロセスにまで進むことが必要である。そこには、とりわけ教育が大きな役割を演じる。互いの立場をロールプレイイングで理解し合ったり、犠牲者に向けて両者が一緒に頭を下げ、悲しみといやしを共有したりする体験、さらに共通の未来に向けて壊れたものを共に再建していくプロジェクトなどが考えられる(ヨハン・ガルトゥング『平和を創る発想術―紛争から和解へ』岩波ブックレット603参照)。

具体的に、徴用工問題の本質が人権侵害問題である以上、まずなにより被害者個人の被害が回復されなければならない。そのためには、両政府と関係企業が自発的に人権侵害の事実と責任を認め、その証として謝罪と賠償を含めて被害者及び社会が受け入れることができるような行動をとることが必要であろう。

中国人強制連行が問題となった鹿島建設花岡事件(2000年)、西松建設事件(2009年)、三菱マテリアル事件(2016年)などの場合は、訴訟を契機に、日本企業が事実と責任を認めて謝罪し、その証として企業が拠出して基金を設立し、被害者全員の救済を図ることで問題を解決することができた。そこでは、被害者個人に金銭の支払いがなされただけでなく、受難の碑や慰霊碑を建立し、毎年中国人被害者等を招いて慰霊祭等を催すなどの取り組みも行われている。

さらに目を外に向ければ、ナチス・ドイツによる強制労働被害を受けた約100カ国の166万人以上に対し、ドイツ政府と約6400社のドイツ企業が2000年に「記憶・責任・未来」基金を創設し、約44億ユーロ(約7200億円)の賠償金を支払ってきたケースもある。こうした取り組みに、今日本政府や日本企業は見習うべきではないか。

(注10)1995年2月25日 日本カトリック司教団教書『平和への決意 戦後五十年にあたって』3.(1)